年金の窓口株式会社、山下社長
本日は、年金の窓口株式会社、山下社長にインタビューしてきました!
◾︎創業したきっかけをおしえてください。
実は2回会社を起こしております。
もともと大学卒業後、富士火災に就職し保険の営業をしてました。
30歳の時に、父が事業で失敗し借金を背負ってしまい、
そのときに保険代理店で独立しようと思いました。これが1回目のきっかけですね。
自分がこの保険の分野で起業すれば、今より全然稼げるし、父の借金もすぐに返せるだろうと思いました。会社の成績は良かったので、絶対いけるだろうと。
自分に能力があるからこそ、売り上げをあげれるんだろうと過信していました。
しかし、そんなに甘くなかった。会社の業績は中々あがりませんでした。
今まで売り上げがあがっていたのは、自分の能力じゃなく、会社の看板のおかげなんだと気付いたんですね。
そして2回目は、今までの経験を生かし、色々な方の協力を頂き、昨年2014年の9月に、年金の窓口株式会社をつくりました。
気持ちを一新し、もしお客様に事故があったら、何かあったら、世界で一番その人のために動く、そのような覚悟で日々動いております。
結局は、能力うんぬん関係なく、一生懸命の日々の積み重ねでしかない、信頼の積み重ねでしかないんですね。
この志にしてからは、お陰様で、順調に売り上げが伸びております。
◾︎今までずーっと保険のお仕事をなさってますが、保険の仕事の魅力を教えてください。
基本的に保険は、商品をうる仕事じゃなく、人間をうる仕事だと思っております。
保険の営業は、人間力が一番重要。
私は、小学校3年から大学まで野球をやってて、キャプテンをやってました。
高校時代は、浜松商業でレギュラーで甲子園にもいきました。
そのときは体も小さいし、才能も飛び抜けてはいなかった。だから努力だけは人一倍しました。そしてレギュラーを勝ち取りました。
だから努力次第でなんでもできるという自信があったんです。
さらにキャプテンということもあり人間力にも自信がありました。
だから、この人間力がすごく求められる仕事、保険の仕事が自分のフィールドだと思いました。本当に天職だと思っております。
ヒト対ヒトで勝負できるから、本当に面白い仕事です。
◾︎宮城、仙台に対しての想いを聞かせてください。
震災を経験したことが僕たちの強みだと思います。
この経験を生かしていくことが世の中への恩返しだと思っております。
具体的に、世界での震災のときの対応や、これから起こるであろう関東大震災への防災対応など。
本当にたくさんの方々からご支援頂いたので、これからはどんどん恩返ししていくべきだと思います。
また震災特需ももうすぐ終わってしまうので、新たなテコ入れが必要だと思います。
僕は観光にどんどん力を入れていくべきだと思います。
観光を通して、今いうインバウンド消費で外貨をどんどん稼いでいくべきだと。
仙台が観光で盛り上がれば、仙台をハブとして東北の観光全体が盛り上がると思うんです。
実際に私も、宮城の観光事業を盛り上げるため、プロジェクトを起こしました。
仙台城を復原するというプロジェクトです。
「仙台城復原プロジェクト」
仙台城は、実は天守閣はありませんでした。
但し清水寺と同じ写真の懸造りがあったんです。
この懸造りの舞台から眺める、仙台市内と太平洋の景色は、名所に必ずなります。
この建設費が約20億円、仙台市民 成人85万人に対して、一人2370円が建設費に充てるプロジェクトが作れれば、実現可能なんです!
これを直接集めるんじゃなく、プロジェクト提携店舗の売り上げの一部を寄付してもらう。
最終的に行政に協力はしてもらうことになると思いますが、まずは民間主導でやっていきたい。
自分たちが街を興していこう、盛り上げていこうという意識が重要だと思うんです。
市民の意思がないとプロジェクト自体もなかなか進んでいかないと思います。
以前も同じようなプロジェクトがあったんですが、市民主導でないため、頓挫してしまった。
県だより、市だよりだと絶対発展していかないし限界がある。
だから、僕たち、私たちの手でまずは始める、進めていくことがすごく重要だと思っております。
みなさん、ぜひご協力お願いします。
山下社長、様々な面での熱い「志」、大変勉強になりました!
お忙しいところ本当にありがとうございました!
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